お金をかけずに撮影するジュエリー写真

家にあるモノを駆使して美しい写真を撮影しよう!

当ブログはプロモーションが含まれています

【ジュエリー本No.50】「真珠の文化誌」で新しい真珠の魅力を探る

f:id:himmelan:20210520224311j:plain

 

今回紹介する本は、こちらです。

 

 

真珠の文化誌。

 

文化史ではなく、文化誌です。

この違いは何なのか?

私には、ぼんやりとしたイメージの差しかわかりませんが、おそらくは「真珠の歴史」を辿るのではなく、「真珠というものが歴史・文化の中でどう扱われてきたか」を辿ったものなのでしょう。

 

以前に紹介したこちらの真珠本とはまた違う、真珠に関する書き物。

 

jewelry-foto.hatenablog.com

(↑こっちは、どちらかというと天然&養殖真珠の歴史の本ですね)

 

今回は、そんな真珠の文化誌を紹介していきたいと思います。

 

 

「真珠の文化誌」は結構分厚い本

 

「真珠の文化誌」、実は結構前(昨年の夏頃)に購入した本です。

読み終わったのは、昨年の12月くらい。

仕事の合間に少しずつ読み進めていましたが、何しろ本文だけでも270頁

注釈や参考文献まで加えると、300頁もあるハードカバー本。

読書スピードの遅い私は、読み終わるまでかなり時間をかけてしまいました。

 

時間がかかった理由は、二つ。

  1. 重い。とにかく重い。
  2. 外国人作家の書いた本の翻訳なので、言い回しが分かりにくい。

まあ、読書が遅いことに対する、ちょっとした言い訳ですね。

 

 

 

 

 

………ん?読み終わったのは去年なのに、今さら、本の紹介記事書いてるの?

…………………。

…………………。

…………………。

…………………。

…………………。

まあ、読むのも書くのも遅い、ということですね。

 

重いハードカバーを電車で読む効率的な方法

 

皆さまは、電車内など、移動中に紙製の「本」を読みますか?

私は電子書籍派ではないので、いつも現物の「本」を持ち歩きます。

 

でも300頁越えのハードカバーって、片手で持っていると二の腕がプルプルしますよね。

ほんの数駅で、腕の痙攣が止まらなくなります。

 

しかも、本ってどんなに丁寧に扱っていても、読んだり持ち運んでいるうちに汚れ・破れてしまうこともあります。

その上、真珠の文化誌のジャケットは真っ白!

汚したくないですよね。

 

そんな重めのハードカバーを、移動中に汚さずに読むにはどうすればいいか!?

 

 

 

………私は、1頁ずつ、スマホで撮影して読みます。

面倒だし、少し読みづらいですが、簡単に電子書籍が作れます。

そして何より、所有する本が汚れない!

 

電子書籍より紙の本が好き!でも本は汚したくない!

そんなワガママな私の辿り着いた、地味すぎるほど地味な解決方法です。

 

外国人作家の本は「言いたいこと」が理解しにくい

私は以前から、翻訳本というのは「作者の言いたいこと」が良く分からない、と感じています。

言語が違えば、文章の組み立て方が違うのも当然のことですよね。

文法が違う、文章の組み立て方が違う、物事の言い回し方が違う。

これらの言語の差の根底にある最も大きな問題、それは「文化が違う」こと

 

言葉は、ただ文法や単語を学べば全て理解できる、というものではありません

外国語の「本当の意味」を理解するには、言語だけではなく、その言語が生まれた文化、習慣、歴史、宗教、それらの全てが身に着いていなくてはいけない。

 

日本語だって、そうでしょう?

京都の独特の言い回しとして有名な、「ぶぶ漬けでもどうです?」

日本語としての意味は、誰でもわかります。

でも、そこに含まれた意味を理解できる人は本当に少ない。

これは、京都の文化、風習などを他地域の人が身に着いていないからですよね。

(私も京都の人じゃないけれど)

 

翻訳本と言っても、結局は外国の言葉を読みやすい日本語に変えただけのもの。

それは、どんな優れた翻訳家の方の訳であっても、同じです。

 

日本語で書かれているから字面だけはどんどん追えるけれど、あちらこちらで、「作者はこここで、何を言いたいんだろう?」的な場面に出くわすのです。

 

チンギス・ハンはつねに怒りに満ちていたという説は、戦いにおける死者の数が積み重なって生まれた。

 

いや、意味は分かります。

言いたいことも、多分、理解できたと思います。

でも何だか………何か、理解できていないニュアンスがあるような、言い回しが分かりにくいというか。

理解できたような気もするけど、出来なかったような気もする。

 

まあ、翻訳本なので仕方がないですよね。

日本語で読めるのは、有難いことだと思います。

 

外国視点での真珠の話

翻訳本の問題については、私の読解力・理解力の無さもあることですし、まあ良いとして。

 

真珠の文化誌が翻訳本である、ということは、つまり作者は海外の人。

つまりのつまり、この本は、「外国人視点での真珠のお話」なのです。

 

今回、真珠の文化誌を読んで最も興味深かったのは、この部分。

外国人視点で見た時の、真珠の存在とはどのようなものであるか?

特に、御木本幸吉と養殖真珠に関する内容は、本当に「外国人の視点」だなと実感できます。

 

唐突な例えですが。

1つの立体―-例えば円柱を、真正面から見た場合と上から見た場合では、全く異なる形になりますよね。

長方形に見える方向と、円に見える方向。

 

残念ながら人はそれぞれが「立場」というものを持っているので、世の中の事を俯瞰で全体を満遍なく見渡すことは出来ません。

だから私も、「私の立場」からしか物事を見ることが出来ない。

日本人で、真珠が好きで、真珠を扱う仕事をしていて――こういった私の立場からしか、物事は見えていません。

 

そんな私の立場とは全く異なる、「外国人の視点」での養殖真珠の話。

私が見てきた養殖真珠と、見ている角度が違うんだな、と感じさせる内容でした。

 

おそらく、あなたが「真珠の文化誌」を読んでも、「角度の差」を感じられるはずです。

自分の視点では見えなかった、新しい真珠の一面に気づかせてくれる本。

「真珠の文化誌」で、あなたの真珠の世界を広げてみてください。

 

 

 

「真珠の文化誌

著者:フィオナ・リンゼイ・シェン

翻訳:甲斐理恵子

出版社:原書房